ホーム名誉会長コラム > 日本一好かれた男

日本一好かれた男

明治10年、薩摩の士族達が明治政府に異を唱えて起こした西南戦争。彼らが担ぎ上げた西郷隆盛の名声も手伝って九州各藩の政府に不満の士族達が大挙してこの反乱に加わった。この中に中津藩(大分県)から約50名の若者を引き連れて駆けつけた28才の増田宗太郎という知勇兼備の誉れ高い隊長がいた。一時は優勢を誇った反乱軍も続々と兵を送り込む装備の優れた政府軍に押され、和田峠(宮崎県)の戦いに敗れると、もはやこれまでと西郷は薩摩以外の兵にそれぞれの故郷に帰るようにと解散を命じた。それを受けて増田も、若者達に中津に帰るように命じる。若者たちが(隊長も一緒に帰るのですよね)と念を押すと増田は意外にも(俺は帰らん。)と言う。若者達が(それはおかしい、隊長は中津を出る時は、生きる死ぬも皆一緒と言ったじゃないですか)と哀願すると増田は滂沱の涙を拭こうともせず、未だに語り継がれている台詞を吐くのである。彼は言う(自分にはこの戦いの間、西郷先生に接する機会が多くあった。あの人は不思議な人だ、一日先生に接すれば一日の愛が生じ、三日接すれば三日の愛が生じる。親愛の情は日々募り、もはや去ることは出来ない。今は善いとか悪いとかの問題ではなく、ただ生死を共にしたいのだ。)と、彼は言葉通りの最後を迎える。朝敵として賊軍の汚名を着せられながら その敵将達からも愛され銅像にもなった男。作家、司馬遼太郎をして[日本一好かれた男]と言わしめた男、西郷の底知れぬ魅力は如何にして培われたのか同じ人間として興味は尽きない。
渕辺俊一著