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春よ来い、は~やく恋!

「眼にメガネ、歯に入れ歯、頭に染め粉のある世の中に○○○の添え木はないものか?」 冒頭からイキナリ不謹慎極まりない話であるが、これは昔の人が年をとってアチラが不如意に なる事を嘆いて見せた歌である。私も還暦を過ぎた今、残念ながら、まさに、その境涯にあるのだが、不如意な身体とは裏腹に、恋を求める心は、これまでの、どの時よりも強く、そして切なく燃えるのは何故だろう。 30年近く前になるだろうか、風呂上りの心地よい気分のところに、つけっぱなしのテレビから今まで聞いたことのない朗々と心に染みる曲が聞こえてきた。それは初めて見る石垣島のトゥバラ-マ大会で、その曲は、月夜の晩に、野外に組まれた舞台の上で着物を着て三線片手の中年の男性が発していた。 私には、その切々とした調べだけでも心を酔わすに十分であったのだが、画面の下に出てきた訳を見て更に夢中になった。その訳は(俺が昔好きだった女、長いこと忘れていた。しかし、俺も年をとってあの世が近づけば近づくほど、あれまあ不思議なことよ、その女の事が日々日々強く思い出されてならない。) という様な意味だったように思う。やがてカメラの視線は舞台から観客席へ移動した。老いも若きも 男も女も各々の様相で大勢ゴザに座って真剣に聞いている様を万遍なく映し始めたのだが、そのカメラがある年寄りのところで、静止すると、大きくズームインしたのである。日焼けして痩せた小柄な老人を何故?と眼を釘付けにして見て、その理由がすぐ分かった。その皺だらけのアンガバーの様な顔のへの字に結ばれた口の両端がかすかに震え、その垂れ下がった両目の端から涙が滲み出ていたのである。瞬間、私は、この曲の訳を、更に翻訳していた。この老人にも若いときがあり、恋の思い出があったんだ。 あの時は、何のことはない、これからも一杯恋はするだろうと軽く思っていたが、そうではなかった。 あの恋は、今にして思えばかけがいのない無二の恋だったんだ。恋は人生の花というけれど、その花は、そうたくさん咲くものではない。ましてや、死が近い身となれば、あれが俺の唯一の花だ ったんだとの思いが今更ながら胸を突く。そうであれば、もっと大事にしてやっておけば良かった。 もっと優しくしておけば良かった。私は勝手に翻訳して一人涙にむせんだ。しかし、今思えば、私にはこの老人は羨ましい。何故なら、私には明確な、この花の思い出がないからだ。 私が老境にさしかかって、不良長寿を目指すのも、悔しいけれど、これが原因なのだ。

真面目一筋に生きてきた私に褒美を上げたい。このまま死ぬのは寂しすぎる。 と思って一念奮発したのだ。だけど間に合うのだろうか?例え、縁があったとしても ”年をとったる哀しさよ、腰にさしたる刀がない”という不如意の状態で馬鹿にされはしまいかと、急に心細くなってきた。

渕辺俊一著