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病を治してはいけない

西暦2155年、世界人口はついに200億の壁を突破した。
従来の国家を地域国家と位置づけた国連政府は 世界の爆発的な人口増大に歯止めをかけようと考える限りの手を尽くした。
しかし、全て焼け石に水だった。
そこで、ある哲学者の提案が真剣に再検討された。
再検討と言ったのは、30年ほど前、その提案が議題にのぼった時、狂気の沙汰 だとして、各地域国家の猛烈な反対にあってお蔵入りしていたからである。
当然、議論は紛糾した。しかし、この30年間の人口増加は人類の全体死か 法案実施かの究極の選択を迫るほど深刻なものであった。
万策尽きた国連政府はついに、その法案を可決した。
ただ、この法案の適用対象国は、人口が増加している地域国家だけでなく 逆に、一部の、人口が減少しつつある先進国に対しても、 全ての医療活動を禁止するという法案であった。
法案は二つの骨子で成り立っていた。

1 全ての医療行為を全面禁止する。
2 本人の望む全ての安楽死を許可する。

医療活動禁止法の適用国家は世界の全ての地域国家に及んだ。 軍隊を持つ唯一の組織である国連政府は法案の実施を円滑に行う 為に、そうした国家に強力な軍隊を派遣した。 軍隊が到着するや、ただちに、全ての病院や薬局及び薬品メーカーなどが 閉鎖され、そこで働く医師や看護婦および薬剤師や関連業者は全て職を失った。 当然医科系の大学も閉校に追い込まれ、学生は転部を余儀なくされた。 テレビからは薬品メーカーのCMが姿を消し国連政府の医療活動停止の キャンペーンにとって替わられた。キャンペーンは、まず医療活動停止法を施行するに 至った経過と、法の理論的正当性を訴えた。当然、民衆は猛反発した。 特に医療関係者と患者やその家族の悩みは切実で世界的規模の人道連盟と 名付けた団体を結成し必死の反撃を試みた。 しかし、国連政府軍にとって、そうした動きは事前に織り込み済みで何等法案の 実施に影響を与えなかった。なにせ、武器という武器は国連政府が成立した段階で 地域国家からは全て取り上げられ、 その生産工場も含めて、国連政府軍の厳重な管理下に置かれていたからである。

法案実施初期にはその余りもの過酷さに人道連盟に同情した地域国家警察を 味方につけたり、あるいは、その武器を奪った反乱も頻繁に発生したが、 それらの武器は国連政府軍のそれに比べればオモチャ程度の物でしかなかった。
その程度の武器で狂気のように戦ってみても強力な 火力にかなうはずもない。反乱は容易に鎮圧された。
そして人道連盟は解散させられ首謀者は処刑及び拘禁された。
ほどなく医療活動全面禁止法案は完全に実施された。
透析など継続治療が不可欠の患者にとって、それは死を意味した。
病院を追われた入院患者は全て家に帰され、 重症患者はそこで家族や友人に看取られて自然死を迎えた。
ただ苦痛を軽減する鎮痛剤や安楽死の為の薬は豊富に全て無料で配られた。
抵抗は地下に潜伏した。かっての禁酒法の様に裏で治療を行う元医療関係者を 手下にしたギャング組織が法外な手数料をとって栄えたが、それも一時期でやがて 国連政府の特殊部隊に摘発されその全てが壊滅した。

”病を治してはいけない”

という前代未聞の法は徐々に民衆の間に浸透していった。
しかし人間はどんな過酷な状況でも適応出来るものだ。

いつしか民衆は病や事故による死を運命として自然に受け入れる様になった。
それは、すなはちジャングルや山野に生息する動物と同じ運命を享受する事を意味した。
それまで人類を脅かす生物は存在しないかに思えたが、治療行為や予防医療を禁止する 事によって、今やビールスやウイルスが改めて人類の最大の敵となって浮上してきた。
悪性の風邪や伝染病が一端流行するや人々はバタバタと倒れた。
ある地域国家は復活した天然痘の流行により1年を待たずに人口が半減した。
しかし、半分はしぶとく生き残り天然痘への抵抗力を身につけた。 しかし、不思議なことに、人口が急増していた国家は、 病気によって、その増加を抑えられたが、人口が減少していた国家は、 その人口を僅かに増加させ始めたのである。
それは、いつ病気で死ぬかも分からないという気持ちが、 少子化に歯止めをかけたからである。
それは、かって戦争に直面した政府が、国民に対して、産めよ増やせよと、 ありとあらゆる手で奨励したように、増やすための 法整備を徹底し始めたことも追い風になった。

なにせ、ウイルスの脅威は戦争の比ではなかったからである。
今や人類に出来る事は体を鍛え環境を清潔にして出来るだけ病に罹らない、 そして事故に遭わないようにするだけとなった。
病院の替わりにスポーツジムや健康道場が花盛りとなり、宗教も 健康を売り物にするものがより多くの信者を獲得した。
宗教による病の治癒を信じない人は自分の体に備わっている自然治癒力の効果を信じた。

彼らはありとあらゆる合理的手段で体内の治癒システムの活性化を図った。
中でも体内の最大薬局とも言うべきリンパ球の活性化には最大の努力を傾注した。
こうした薬や専門家の手によらない個人的でかつ予防的(例えば、布切れで血止めを する程度の)なものは取り締まりの対象にはならなかった。
例え取り締まりの対象になったとしても、 人の呼吸法までチェックして取り締まれる筈がない。
ゲ-ムソフトも脈拍や脳波あるいは血圧などをインプットして心や身体の精神衛生や 健康度を競うものが登場した。
悟りゲ-ムと称したあるバ-チャルリアリティ-のゲ-ムなどは 脳波の状態によって眼前に展開する光景や温度や風、湿気などの環境が異なり、 悟りの領域に入ると、その段階に達した人だけが味わえる法悦境を 体験出来る仕組みになっていた。このゲ-ムを通して得られる悟りは何十年も 修行して達する従来の悟りに比べても何ら遜色なかった。
長年の修行の成果をゲ-ムごときに奪われて、 その威信を問われた宗教界は、その悟りの真偽を高僧達に依頼したのである。 ところが、ゲ-ムの悟りレベルに達したゲ-マ-達はいわゆる禅問答といわれる 難解な公案に対しても、高僧達と同じ境地に精神が達しなければ到底答えること の出来ない正しい答えを述べて高僧達を驚かせたのである。
これらのゲ-ムが流行したきっかけも健康へのあくなき追求から発したものであった。 すなはちゲ-ムに熟達することによって、自律神経をコントロ-ルしたリンパ球を 活性化したりする事が可能になり、それによって病気への 抵抗力が高め、結果として健康が得られたからである。

従って、このゲ-ムが導入された当初の名前は、 ヘルスバトルと名付けられた陳腐な物であったが、 副産物としてこの様な精神状態を得られることがわかってからは、 いつしか悟りゲ-ムとして定着するようになったのである。
こうした健康至上主義の考えは人間の営みの、ありとあらゆる所に浸透していった。
いわゆるボランティア活動のほとんども町や村を清潔にする奉仕運動が大半を占め、 どこもかしこも見違えるほど美しくなった。
国民が支払っていた膨大な医療費はそうした行為の強力な支援財源となった。

また、車の免許試験や車検制度はより厳格になり、 事故を軽減させる為の交通規制も大衆は容易に受け入れた。

やがて、高性能コンピュ-タと制御装置を組み合わせた交通事故自動回避システムを 搭載した車の登場により、自動車事故はほぼ皆無になった。
これらの研究開発財源にも元医療費が使われた。
巷には健康的な人々が溢れた。しかし、そうした努力にもかかわらず、 ウイルスは突発的に人類を襲い、人口を激減させた。
ただ、如何に猛威を振るおうとも、人類を完全に抹殺する程のウイルスは ついに出現しなかった。それは、あたかも、 神がウイルスを人類の上に君臨させ、必要に応じて、 人口を調節している様な感じすらした。しかも、生き残った人々はウイルスに対する 抵抗力を確実に身につけ再び激減した人口を増加させ始めた。

しかし、人口が増え始めると不思議にも、それを待っていたかの様に再び新種のウイルスが 人類を襲い人口を激減させた。しかもウイルスは抵抗力のない幼児や年寄りから病弱な 人間と順に、その餌食にしていったから、結果として体力のある人々が生き残った。
かって食物連鎖の収奪者として地球上のガン細胞と化していた人類は今や食物連鎖の輪の 一角に繰り込まれる事を余儀なくされた。

そして、ついにその際限のない増殖にブレーキがかかった。その立役者はウイルスだった。
このウイルスも巻き込む食物連鎖は完璧な生命体そのものだった。
突発的な自然火災ですら、それを待って発芽する植物があるように。
全ての自然の営みは、この連鎖の中に織り込まれていた。
但し、この輪は不運な個々の動物にとって、まさに弱肉強食の非情さを意味した。
そして治療行為を全面禁止する事によって人類も他の野生の動物達と同じ、 この非情な運命を享受する事になった。しかし非情とは言え個々の生命の犠牲によってこそ 全体は生き延びる事が出来たのだ。そういう視点で解釈すると、食物連鎖の非情さは 種族全体にとっては慈悲そのものでもあったと言えるかも知れない。
もし、造物主がおられるとしたら、その慈悲は人間の目から見たら、 このように一見残酷なもので、人間の唱えるヒューマニズムとは随分違うものの様に思えた。 食物連鎖の輪はあたかも生き物のように機能した。
連鎖の中で人類の人口は絶妙なバランスをとって安定した。
また、このサイクルの中で強い遺伝子を持つ人間だけが生き残り全体として 医療活動が実施されている時代より強い体力を持つに至った。
しかし、幾ら生き残った者が健康体とはいえ、医療行為停止国家ではウイルスは 人間の成長過程のあらゆる段階で飽くことなく国民を襲ったから、そうした国家では 平均寿命も50才前後にダウンした。
こうした国家では文明やそれに基づく文化が大きく変貌を遂げた。

それまでの人類はそのほとんどが病院で密かに死んだ。
しかし、今やその病院はどこを捜してもない。
人は不慮の事故以外ほとんど家で死ぬようになった。
人の死は日常の生活に溢れた。また、お産も苦痛に耐えながら自宅で行われたので、 死と同様生命の誕生も身辺の出来事となった。
いつしか生命を尊ぶライフスタイルが確立し自殺者は激減した。
無常観が生活の中に忍び込み始めたが、それはむしろ人を元気にした。
はかない人生、奇跡的に生きているこの人生を楽しまなくちゃ損という考え方が支配し、 人々の冒険的な傾向も助長させた。冒険的な行為の結果発生する事故による死は、 それが避けられないものであればあるほど勇気ある行為として、尊敬の対象となった。 人は如何なる時も依然として治療を受けられなかった。
いや受けようという気持ちさへ持たなくなった。
人は重傷や重病に陥ると死を運命として受容した。
そして苦しみが極限に達すると安楽死を選択した。
安楽死の薬は無料で国から大量に配布されていたから、 死への誘惑が高まると容易に実行できた。
定期的に無料で配布されてくる安楽死薬の効能説明書を見ると国連政府はまるで 自殺を奨励しているのではないかとも思えた。
実際、国連政府系のテレビは、そのゴ-ルデンタイムに この薬の紹介と効能をアピ-ルした。
(この度開発された安楽死薬は前回発売された 好評だった薬を更に改良したまさに夢の薬です。
この薬は、死の恐怖を完璧に取り除き、あなたを快楽の園に運びます。
あなたはそこであなたがこれまでの人生で味わってきた喜びの 総量を遥かに越える至福感を味わいながら天国に召されるのです。) 視聴者のお茶の間では、(おじいちゃん死ぬの速かったね、 今度の薬が出来てから死ねば良かったのにね、おかあさん。) という様な親子の会話が普通に話された。

実際に、この安楽死の薬は非情に美味なジュースからなっていた。
ジュースを飲むと、まず死の恐怖が完全に消え、次に例え様のない 快楽が押し寄せてくる、そしてその恍惚の内に一種の悟りの心理状態 に達して、しかるのちに意識を消失し生を失うという仕掛けになっていた。
そうして死んだ人の死に顔は誰もが安らかで幸せそうに見えた。
しかし楽に楽しく死ねるという意識は 人を冒険的であると同時に内省的にもした。しかし、それは暗さを意味しなかった。 どうしてあなたは私ではないのか、私はどこまでが私なのか?進化の目的は? という様な静かに燃える知の探検をも助長したのである。
いまや哲学や文学や芸術は民衆のものとなり隆盛を極めた。
また、老人も今まで以上に大切にされ始めた。
死亡率が医療不在の結果急上昇し生き延びる事が少なくなったからである。
希少価値故の保護精神である。
また、そういう環境で生き延びてきた老人は例外なしに屈強で 偉大な精神力の人が多かった事も尊敬の原因では合ったと思う。

法が施行されて20年がたった。 今や民衆にとって治療を受けないことに疑問を持つ者などいなかった。 治療とか医療とかの言葉は完全に死語となった。

そして、それが復活する兆しすらなくなったし、例え、復活しようにも、 世界中何処を探しても、医療関係者も医療施設もなかった。
法施行後20年の歳月は、人の心を全く変えてしまったのである。
人は治療するという行為を、自然の摂理に逆らう、悪徳行為と見なすようになったのである。 病気や怪我が自然に治癒しないのは、神の決定であり、 逆は神の導きであると思うようになったのである。
この様な考え方に大きな影響を与えたのは宗教である。

法施工後、誕生した、新興宗教は、20年の歳月をへて、 国民のほとんどが入信する国家宗教に大きく育ってしまった。 それも、そうであろう。その宗教の唱えたのは、 人の生死は、神に一切が委ねられているのであるから、 自然に任せなさい。人は死ぬのではない。

ただ住む世を移すだけだと、そして愛すべき人とは、 必ず次の世で共に暮らせると説いたのである。

渕辺俊一著