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宴会嫌い

私は、昔から、宴会や軽い調子の雑談が苦手である。 要するに楽しそうに振る舞わなければならない場所が苦痛なのである。 今は退職して解放されたが、それまで、師走は一年で最も嫌な年であった。 だって、楽しさを余儀なくされる忘年会が連日続いて、心身共にヘトヘトになるからである。 人が楽しむ宴会を何故嫌うのか?その真の理由は、私の存在が この明るい雰囲気を壊すのではないかという恐怖にある。

元来、こうした雰囲気に全く馴染まない不適応人間が、一生懸命何食わぬ顔をして 溶け込んでいる振りをしているが、演じ続ける事に我慢しきれなくなったり 何かの拍子で、本来の地が暴露され、その為にせっかくの楽しい座が”しらけて“しまう のではないかという不安。思春期の昔から私を悩まし続けてきた、この慢性自意識過剰症 という不治の病を他人に白状したことはないが、例え白状したとしても、誰もが怪訝な顔をしただろう。 なぜなら現役の頃、私は愉快な座談の名手として通っていたからだ。 しかし、洞察力に優れた人が見れば、これが真実でない演技だということは容易に見抜いただろう 私には、酒をたしなむ趣味はないが、こうした場所に出ると恐ろしく速いスピードでその苦い酒を 何杯も何杯も飲みはじめる。人は酒がお強いですねと一応に驚くが、私が飲む真の理由は その場に素早く適応する為なのだ。酔うまでの僅かな時間も耐えられない。 だが私は酔うと一転して座談の名手となる。談論風発、時には艶笑話も身振り手振りで 面白おかしくやるものだから、座はいやがおうにも盛り上がる。 その結果、アチコチの宴会に真っ先に呼ばれる羽目になる。何という皮肉だ。

宴会が終わって逃げるように家に帰ると、ヘタヘタと座り込むような虚脱感に襲われる。 時に酔いの調節が効かなくなって、サービスの積りが卑猥すぎた話をした時や 立ち入った話をしすぎた時、あるいは知ったかぶりの臭い話をしすぎた時など 酔いが醒めると共に激しい自己嫌悪に襲われ、余りの恥ずかしさ 嫌らしさに思わず悲鳴を上げる時もあった。私はこういう席で、座を盛り上げることには 何の関心もなさそうで、ほとんど喋りもせず、人の話をじっと聞いてニコニコと楽しむ側に 回っている人を見ると、何故自分はあのように自然に楽に振る舞えないのだろうかと 心底羨ましく思う一方で、時にはお前も、俺の十分の一でよいから何か面白いこと 為になる事を皆に聞かせて、宴会のこの重い御輿を俺と一緒に担いでくれよ、この鈍感野郎と 難癖を付けたくなるような腹立たしさを覚える事もあった。しかし、しかし、この役目もやっと終わった。 退職の最も素晴らしい点は、これに尽きる。人との適応に費やされた膨大な時間は戻ってこないが もはや費やす必要はない。

こう述べると、私は人嫌いに見えるかもしれないが、そうではない むしろ、その逆で人にしか関心がないと言っても良いくらいである、特に女性については人生の 全てであると言っても言い過ぎではない。もし、この世に女性がいなかったら、とっくに死んでいるか 廃人になっていただろう。しかし、この大好きな女性に近づくためには、私の最も苦手な軽い 調子の雑談が必要である。だが例によってその度に酒を飲むわけにもいかず、困っている。 さてどうするか、また元来の思案癖が頭をもたげてきた。

渕辺俊一著