その昔、沖縄は琉球と呼ばれ、貿易で栄えた。相手は中国やタイなどアジアの国々で本土とも交流があった。 これらの国々に共通しているのは、国家のサイズが琉球よりも格段に大きかったという事である。 自分より圧倒的に強いものに喧嘩をしかける者はいない。当然というか琉球は喧嘩を好まず、平和外交を国是とした。 これは平和を好む国家だったというより、平和を好む事を余儀なくされた国家だったといった方がふさわしい。 琉球にとって平和は道義的目標と言うよりはむしろ、生き残る為に絶対に守らねばならない掟であり生命線だったのだ。 しかし、時代は弱肉強食が大手をふってまかり通る時代である。琉球の先人達は貿易に際しても随分気を使ったのではないかと思う。 「私達は武力を持たず、あなたの国に敵意や野心どころか恭順の意を持っています。」と、あくまで低姿勢で接したのだと思う。朝貢貿易はその典型である。 仮想敵国として警戒心を抱かれてこの貿易は成立しない。 へたに武器をちらつかす事は命取りになりかねない。 こちらの意見を押しつけるのではなく相手の考えや価値観を否定せず理解し、許容する文化が出来上がったのは、 沖縄が交易で生計を立てる極めて小さな島国だった事に起因するのではないかと思う。
長年の行為は習いとなり、習いは性となる。相手を許す傾向はややもすると自分も許すことにもつながる。 寛容の美徳とテーゲーが混在し紙一重となる。 また、こうした国家は他国と戦闘をする必要がないから強固な縦の組織を育てる必要もない。 勢い縦の関係は希薄になり、自然と横社会となる。 この社会は、それが原因となって数々の特性を生む。 例えば、欧米人に対しても、東南アジアの人々に対しても、卑屈にも尊大にもならないという性質、 企業への忠誠心というよりは地域の人々への愛着心の方がどちらかというと強い傾向。将来の立身出世より、 その日その日を楽しむライフスタイルなどで代表されるだろう。 こうした性格は国際社会に受け入れられやすい。なぜなら、世界のほとんどの国は横社会であり、人間の自然の姿が本来そうであるからだ。 この性格を活かさない手はない。
海外へ進出する日本企業と、現地の人々の間に入ってマネジメントする仕事など格好のビジネスではないだろうか? 世界に冠たる日本企業の縦社会の効率性をツールとして身につけ、沖縄的心を魂として双方の幸せに貢献するのである。 文明開花時の和魂洋才ならぬ琉魂和才の発揮である。 ただ、果たして、将来もこの琉魂和才が機能するか、今の私には分からなくなっている。 もしかしたら、沖縄の横社会は和才を必要とせず琉魂そのままで効率的で強力な社会を形成できるかも知れないのだ。 その理由は、インターネットなどに代表される通信ネットワークの急激な進展にある。 このシステムは縦社会の企業文化は言うに及ばず、社会の価値観自体も根底から覆えす可能性を持っている。次回はその可能性について私見を述べてみる。
渕辺俊一著