世の中には何気なく見過ごしている事でも、あらためて注意を凝らすと面白い事がいっぱいある。 お経を唱える時に叩く木魚も、その格好の例である。 ただ、音を出すだけであれば、普通の太鼓でも良いのにと思うが、何故魚の形でなければならないのか?
理由は簡単、木魚を規則的に叩き続けると眠たくなる、しかし眠ったら意味がない。 だから眠らない様にとの思いを込めて、まぶたのない、魚にあやかったという事らしい。
では、何故、わざわざ、眠りやすいリズムで木魚を叩くのか? それは、どうやら意識を瞑想ゾーンに誘う為らしい。では何故? この答えを以前、ある宗派のお坊さんに聞いたことがある。答えは、一言、ホトケるためだそうだ。 つまり、心身を束縛しているあらゆる煩悩から心を解放する事らしい、なるほど仏とはホトケル事だったのかと妙に納得した事を覚えている。 瞑想すると自律神経が安定するだけでなく、脳内麻薬物質の分泌を促して気分を壮快にし、リンパ球を活性化して自然治癒力高めるとも言われている。 また、瞑想すると、集中力が養われて、肝が座るという状態になるらしい。
そう言えば、徹底した瞑想を尊ぶ禅が武家に愛好されたのもうなづける。 江戸城の明け渡しの際の二人の立役者、薩摩の西郷隆盛と幕府の勝海舟も共に禅の達人であった。 西郷の郷里には、今でも彼が修養に努めた座禅石が残っているし、勝海舟は、その自伝「氷川夜話」の中で、自分の人格形成に大いに役立ったものとして同じく禅をあげている。 ところで瞑想の方法であるが、先程の和尚に聞くと、静かに座って瞑目し、雑念など出るに任せてホットケば良いと答えたから、参考までに。