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愛はネットワークにのって

一般にビジネスマンに転勤はつきものである。その場合、たとえ既婚者であっても受験期の子供や年老いた親との関係とやらで、単身赴任を余儀なくされる事がある。そうした環境を持つビジネスマンは大抵中高年であり、年齢から言っても長期の転勤は心身共に苦痛をもたらすものだ。こうした苦痛の解消に、コンピュータネットワークは大きな力を発揮する。以下は、そうした人々の近未来の生活風景である。

1998年初夏、大城氏(42歳)が東京の転勤先で仕事を終えて単身赴任専用の社宅へ帰る頃には、もう時計は夜8時をまわっている。しかし、彼は焦らない。何故なら、沖縄にいる妻に社宅に帰り着くおよその時間を知らせたからだ。たったそれだけで、全ては自宅にいた時と同じ様に運ぶから不思議だ。社宅のドアを開けると、妻の”お帰りなさい”という明るい声に迎えられる。部屋の換気や室温の調節はもとより、掃除からお風呂の湯沸しまで、まるで妻が居て用意したかの様だ。おまけに、頼みもしないのに見損ねた好みのテレビ番組まで知っていて録画しているところが憎い。さすが、15年の結婚生活は伊達ではない。夕食は、彼の好みと体調を配慮した妻の献立が、(よく噛んで食べて下さいね。) というメッセージ付で食膳にセットされている。一人で食べるのは少々寂しい気もするが、妻の気持ちが偲ばれるひとときでもある。また、尾篭な話で申し訳ないが、彼が使用するトイレは健康診断ロボットでもある。かれの脈拍や血圧、体温、体重を自動的に計り、排せつ物や血液から健康内容を常にチェックする。もし異常があれば、ネットワークでつながった大学病院の医療エキスパートシステムによって分析されて、医者や本人はもとより、妻にもその内容が報告される仕組みになっているのだ。

その報告カードの中の一つに、食事療法プログラムがある。妻がそのカードを大学病院と提携している健康食センター提供の自宅の端末に差し込むと、彼の健康を配慮した食事メニューがディスプレイに表れる。妻は、その中から彼の好みを選択し、それに妻独自の味付けをインプットすると、その情報は、たちまち社宅に近い健康食センターに送られ、指示通りの食事が彼の元へ配送される仕組みになっている。各マンションのセキュリティー及び衛生管理は完璧に行われており、食事の配送マンがマンション一階の中央投入口に食事をセットすると、高速殺菌管を通って食卓に自動的にセットされるシステムになっている。実は、このマンション自体が会社の用意したロボットなのだ。自宅とネットワークで結ばれたマンションロボットの住み心地の良さは比類の仕様がなく、住人の生活ぶりを見ると、まるで羊水の中に浮かぶ胎児を連想されるものがある。風呂に入り、食事が終わると久しぶりに沖縄に残してきた妻と話したくなる。彼は壁一面に張られたスクリーンに妻を呼び出し、あれこれ話をする。画像は極めて鮮明で、まるで自宅にいる様な錯覚にとらわれる。奥の部屋から子供の寝息が聞こえて来る。(疲れている様ね、マッサージしてあげるから用意して)という妻の言葉に、部屋の片隅においてあるマッサージロボットに身を委ねると、ロボットはそのしなやかな指先で彼を優しく揉み始めた。(肩が特に凝っている様ね)と妻が言うと、ロボットは肩を揉む。まるで妻に揉んでもらっているのと少しも変わらない。ロボットはまさに妻の分身なのだ。スクリーンには昔、夫婦で旅行した十和田湖の風景を浮かべて、楽しかった思い出に花を咲かせた。

朝、妻の声で目覚めると同時にカーテンが自動的に開き、心地よい音楽が奏でられた。ベッドより起きて当りを見回すと、全ては朝の光の中に夕べと同じ様に用意されていた。 これでは監視されている様で、好き勝手が出来ないと嘆く方もおられるかも知れないが、大方の真面目人間には歓迎されるだろう。この生活は夢ではない。殆ど近い将来、実現すると思われるものばかりだ。もちろんご存じの様に、一部は今でも可能である。マッサージロボットの件にしてもそうである。仮想現実感技術とネットワーク通信技術、及び遠隔作業ロボットを組み合わせれば十分に可能になるだろう。まず妻がスクリーンの中に浮かぶ夫の映像を立体視出来るメガネ状の装置をはめる。そこに浮かびあがる夫の映像の横には、妻の手を模したアニメ状の手が浮かんでいる。妻は、そのアニメ状の手を彼女の手に着けたデータグローブを通じて自在に動かす事が出来る。妻が手をグーチョキパーすると、アニメの手もリアルタイムで同じ動作をするという訳だ。このアニメの手の動きは通信回線を通して遠隔地に在るマッサージロボットに動きの情報として送られ、実際の妻の手の動きと連動してロボットの手もグーチョキパーをするという仕組みである。従ってマッサージもこの原理からして容易である。アニメの手が夫の肩の所にくるようにデータグローブを着けた手を動かし、肩を揉む仕草をするとアニメが揉み、リアルタイムでロボットの手が実際の夫の肩を揉むという訳である。もちろん夫の体のコリ具合も、ロボットの手の圧力センサーからデータグローブへフィードバックされるから妻には分かる仕組みになっている。本格的なマッサージをしてもらいたいと思ったら、マッサージセンターに回線をセットしさえすればプロのマッサージ師がロボットを通じて揉んでくれるのだ。普通は市販のオンラインマッサージソフトをセットしてロボット自身にマッサージさせるが、やはり人間から揉んでもらう方が体調に合わせてもらえるし、何より心が通じて気持ちが良いという訳で、このオンラインシステムは大繁盛になるに違いない。

この原理は医療や工場、ビジネス、教育、娯楽などの幅広い分野で大きく活用され、人類社会に想像以上の大変革をもたらすだろう。

渕辺俊一著