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長期政権

琉球王朝は第一尚王朝(一四二九年ー一四六九年)と第二尚王朝(一四六九年ー一八七九年)から成る。 戦乱に明け暮れた第一尚王朝は40年しか続かなかったが、比較的平和を保った第二尚王朝は410年も続いた。これは世界の歴代王朝と比べても比類の無い長さである。例えば、日本の最長政権を誇る江戸幕府は260年で滅び、中国の明王朝も清王朝も共に200年代で滅んでいる。では、かくも長く続いた理由は何なのか?あくまで一つの解釈であることを前提に私見を述べる。戦前、日本の国宝には琉球王朝のものが23あったが、その内の18は一人の国王の手によるものだった。例えば首里の円覚寺、玉陵、真玉橋等がそうである。その王の王たる国王こそ、第二尚王朝の始祖 尚円王の子、尚真王である。彼の治世は50年に及び幾多の偉業を成し遂げたが、中でも私が最も注目する功績が二つある。一つ目は秀吉に先立つ100年前に刀狩りを行ったこと。秀吉は武士を除く町民農民から武器を取り上げたが、尚真王は更に徹底し、各地の按司(首長)を首里城下に住まわせた上に、町民農民は言うに及ばず、彼ら(武士階級)からも武器を取り上げ、そ の牙を抜いたのである。二つ目は民衆の祭祀を司っていたノロ達を国家公務員として組織化し、その最高位の聞得大君の地位に代々の国王の姉妹を就任させた事。ノロ達はそれぞれ地方に派遣され地域の祭祀を通して迷信深い当時の人々の心を支配したのだ。国家のサイズが小さかったことも、そうした政策を容易にした。つまり刀狩りの徹底による権力の集中とノロを通しての心の支配こそが車の両輪となって琉球王朝の長期政権化を盤石にしたのだと思っている。
渕辺俊一著