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インターネットと沖縄

沖縄の人は本土平均の半分しか手紙を出さない(平成4年度郵政省統計)。またその内容も、本土平均が手紙の内41%を県外に出すのに対して、沖縄は15%しか出さないという。 この数字は、インターネットが本土より沖縄に定着しにくい事を示している。 何故なら、インターネットは書く文化であり、世界へ向けられたものである。 パソコン通信やインターネットでも、人が書いたものを読むだけで書かない人の事をROM(Read Only Memory/Menber)と呼び低く評価する。 インターネットが普及していく中で、こう言った現状はいったいどう言う結果をもたらすことになるのか、危惧している。

一方、沖縄の人は個性的であると言われている。 風土と歴史の影響を強く受けた独自の文化を大切にし、舞踊や音楽を中心に優れた芸術を今でも盛んに生み出している。 この創作エネルギーには、目を見張るものがある。 この二つの一見すると相矛盾することがらは、何を意味しているのだろう。

以前にもこのコラムで書いたように、沖縄は縦社会ではなくて横社会である。 したがって、そこでは文字で書かれたものの必要性は相対的に乏しく、話し言葉を中心にした文化的風土が育ったのではないだろうか。 また、そのことが目の前にいる人の存在を前提とした表現の手段としての舞踊や音楽に結び付いているのかもしれない。 そこで、インターネットの話に戻るとインターネットの中の情報の種類としては今は文字が大部分を占めているが、一部では映像や音声が送られるようになってきている。
現在のインターネットを支えるインフラと、映像や音声をコンピュータで編集する技術とコストの関係で、映像や音声が急にはインターネットの情報の主流にはならないにしても、 技術の進歩とともに文字だけでなく、映像・音声とを組み合わせた、いわゆるマルチメディアの形態で送られていくようになると思う。 こういうモノ(コンテンツ)を生み出す能力は、文字にどっぷりと浸かった活字中毒人間よりも、他人とのコミュニケーションを大切にする、 話し言葉中心の文化で育った人のほうが適している。 こう言うと沖縄の人たちには大変有利なように聞こえるであろうが、ただ何もしないでいて、自動的にこう言うことができる訳ではない。 やはり、一定の学習が必要である。今では、自動車の運転はほとんどの人ができるが、 これも最初からできた人はいないはずである。みんな最初は自動車学校に行って、車の運転を覚えたのである。 そう言う意味で映像・音声などをコンピュータを使って編集することを、手軽に学べるような施設を早急に整備することが大切である。 インターネットの中の情報が映像・音声付のものが主流になるのにそんなに長い時間はかからないと思われる。 21世紀といってもあと4年後であるが、その時には大部分のものがそうなっていると思う。 これらの学習がなされるならば、沖縄の横社会の精神はインターネットの精神に極めて近い。 誰とでも親しい感覚で気軽に声を掛け合うのが、インターネットの精神である。 どこの誰で、職業は何で、所得はどのくらい、こう言うものがほとんど何の意味も持たない、究極の横社会である。 そこでは、もともと横社会的発想に慣れた沖縄の人たちが、自由に活躍する姿が目に見えるようである。また、沖縄には海外移住の歴史がある。 家族や知人が遠く離れた海外で暮らしているというケースは多い。 こういうときに、インターネットが生活レベルで活躍する場がある。

一般の人たちの生活レベルでインターネットが使われている地域はまだわが国には存在しない。 この面でも、沖縄がインターネットに積極的に使い込んでいく意義があるように思う。

渕辺俊一著