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日本人を変えた男

那覇市久米で生まれた琉球王国の士族 程順則(名護親方一六六三年-一七三四年)は中国・福州に渡り、当時の清王国が皇帝の名前で出版していた六諭衍義(りくゆえんぎ)という書物に感銘し、これを琉球に持ち帰った。

六諭衍義とは①父母に孝行を尽くせ。②長上を尊敬せよ ③郷里を大事にせよ ④子孫を教訓せよ ⑤己の職業に安んぜよ ⑥非行をするな という六つの教えであり、その教えごとに解説を施し、関係する法令の条文を引き、故事、実例、詩をも加えて一般に分かりやすくした民衆用の道徳教科書のことである。

この六諭衍義は、その後、薩摩を経て徳川幕府の八代将軍徳川吉宗に伝えられる。吉宗は、これを儒学者の室鳩巣に和訳させ、六諭衍義大意として完成させると、この本を全国津々浦々にあった私塾 寺子屋の修身本として普及させたのである。

当時寺子屋は多いときで、現在の小学校と中学校を合わせた数とほぼ同じの一五〇〇〇ヵ所もあり、ここに武士以外の、町人、農民などの子弟で七才から十三才までのほとんどの子供達が約二〇〇年間、明治の初期まで通ったのである。児童期の柔軟な頭に二〇〇年間も教え続けたわけであるから、これが日本人の性格形成に影響を与えないはずがない。この徹底した教育に培われた実直な国民性が元になって、開国するや世界史に希な経済発展を遂げたといっても過言ではない。

六諭衍義の一ページ目には、この本を伝えた人は、琉球の程順則という人であると紹介されており、彼は当時日本で最も有名な琉球人であったという。

渕辺俊一著