ホーム名誉会長コラム > 個人の能力格差が拡大する

個人の能力格差が拡大する

世の中には、車に乗れば必ずラジオをかけ、家に帰ればテレビの前を離れないという人が結構多いものである。そうした彼らが受け取る情報の量は莫大なものであろう。しかし、彼らが、そうした情報を武器にして世渡りに活かしているかというと必ずしもそうではない。むしろ情報洪水に溺れ、脈絡のない断片的な知識に冷静な判断力を阻害されているとしか思えない人が多い様に思う。一方、それほどラジオもテレビにも接しないように見えながら、多彩な情報を駆使して仕事を優位に進めている一群の人々がいる。これはどうした事だろう。この違いは恐らく、必要と思われる情報のみを関連づけ体系づけて収集し、編集して解釈すると言う能力の違いではないだろうか? その為には、不必要な情報を必要に応じて遮断する、という事が必須のこととなろう。また、何の情報を必要とするのかという問題意識と、その意識を生じさせる好奇心や人生観なども、能力の違いとして重要になるだろう。

通信とコンピュータが融合するネットワーク社会である高度情報化社会は、誰がどこにいても必要な情報を瞬時に得られる社会である。そうした社会では誰もが等しく情報を共有できるから、人々の情報格差は縮まる筈であるが、実際には、こうした情報力とも言える能力の善し悪しによって、むしろ情報格差は極端に広がるのではないかと考える。 中でもビジネス分野における情報格差は、その典型となるのではなかろうか?

最近、沖縄県内のデータベースの関係資料を見て面白い事に気づいた。 それは、ユーザーのデータベース使用料に極端なムラが見られるという事である。同業種同規模でも使用料の差は5倍にも及んでいた。この事はデータベースの使用料は、企業というよりは、企業の、どういう個人が使用しているかという事に大きく依存している事を示唆している。この格差は、読書を好む人と好まない人の存在に比べられるが、問題は読書量の多寡が個人の情報力や能力に与える影響に比べて、こうした情報ツールを操る能力や使用意欲の格差は、ネットワークの充実に比例して極端に大きな情報格差を生み、ひいては、それが大きな能力格差につながると思える事にある。例えば、冒頭のイスラエルの少年が為した事を善悪を問わず、影響力の大きさという点から捉えると、ネットワークを操れない人から見れば、自分と彼を比較する事自体が無意味なぐらいの能力差に思えるだろう。こうしたビジネスにおける能力格差の傾向が、ネットワーク媒体の多様化、高品質化によって甚だしく助長されるのがこれからの高度情報化社会の際立った特徴だと言えるだろう。

渕辺俊一著