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優しい嘘

幼い頃、クリスマスが来るのは楽しみだった。 良い子にしていれば寝ている間にサンタクロースが現れて靴下にオモチャやお菓子を入れてくれるからだ。 後で親がこっそり入れていたと分かったのだが、それで嘘をついたと責めた話は聞いたことはない。

また、夏、お腹を出して寝ていると、雷様がお臍(へそ)をとるよと脅された。 それも嘘と分かって「よくもいたいけない無垢な子供を騙して」と親を責めた話も聞かない。 それどころか我が子がお腹を冷やして下痢でもしてはいけないという親心が生み出した江戸時代から続く話は、騙された子がその子にまた伝えていく。

一方、目の前で酷い事故にあった友人を抱え、「大丈夫だぞ!救急車がすぐ来るからな、しっかりしろよ!」とは言っても 「オイ、大変だぞ ハラワタが出ているではないか!」と例え、それが事実であっても言う人はいない。

不要な正直は、時に残酷でしかないのだ。病み上がりで久しぶりに出社した同僚には、まだ顔色が内心優れないなと思っても「良かったね。 本当に良かった。ずいぶん顔色もいいね。」とか笑顔で励ますのは、それで同僚の体調がますます良くなるという暗示の効果を知っているからだ。

俳優業もそうだ。笑顔や涙をを出すべき時は、全くその逆の心境にあっても、心を練って真摯に演じねばならない。 虚実があい混じり、皮膜のように薄くなれてこそ名優というものだ。

もちろん物事には告げることが過酷であっても、伝えないといけない厳しい局面があるのも事実だが、それはともかく、 よくよく見れば人の世は罪のない優しい嘘で回っている。

渕辺俊一著